イヤホン再生時に発生するジッターとドップラー歪み量の比較
(2013年7月29日新規作成)


1.目的
イヤホンの振動板の振幅と、DACのジッターについて面白いデータがあったので、このデータを元に、シミュレーションプログラムを作り
@イヤホンで発生するドップラー歪みの見積もり
ADACで発生するであろう、ジッターによる歪みの見積もり
これらを算出して、
典型的なイヤホン、DACで発生する、ドップラー歪みとジッターによる歪みの相対的な大きさを比べてみることが目的である
ドップラー歪みは、理想的なピストンモーションをしている振動板でも発生してしまうため、マルチウェイ化するくらいしか打つ手が考えられない(自分だけ?)厄介な歪みでもある。
逆にどのような振動板でも変位に応じて等しく発生しているのだから、見積もるのも容易・・ということでシミュレーションにはうってつけでもあります。


2.シミュレーションに用いたプログラム
シミュレーションプログラムは、参考文献[1]を参考として、ExcelのVBAに移植して(自作)、得られたデータをwavファイル化し(自作)、これを音響測定用のソフトARTA(ver.1.7.1)のDFT(256k点、窓関数はKeiser7)によって最終的に歪みのスペクトルを得た。

今回使用したシミュレーションプログラムは、44kHz/16bitのフォーマットを単純に(オーバーサンプリングなし)、そのまま再生した場合をシミュレートしている。
このため、周波数スペクトルには比較的大きな量子化雑音(-120dB程度)が存在しているが、今回条件では量子化雑音よりも十分歪みの量が大きいため、オーバーサンプリングによる補間なしの単純なシミュレーションとしている。
ドップラー歪み、あるいはDACの周期性ジッターによる歪みだけを計算しているので、これ以外の様々な歪みの発生要素については全く加味していないので悪しからず。
なお、周期性のない
ノイズジッターについては、ノイズフロアが満遍なく上昇していくだけであるので、シミュレーションの結果もあまり面白味がないため取り上げていない。(おい)

[1]「"The Effects of Sampling Clock Jitter on Nyquist Sampling Analog-to-Digital Converters,and on Oversampling Delta-Sigma ADCs"J.AudioEng.Soc.,Vol.38,No.7/8,1990July/Augu,STEVEN HARRIS」(Fig.1)


3.シミュレーションの条件
型的なイヤホン、DACによるドップラー効果とジッターによる歪み値を知ることが目的なので、各シミュレーションには以下の条件を採用した。

ドップラー歪みのシミュレーションの条件:
参考文献[2]によると、ダイナミック型イヤホンを84dBSPL(概ね普通に音楽を聴く程度の音量)で再生した場合に、100Hzの純音で約1um振幅、10kHzの純音で約1nm振幅することがわかる。
従って、ドップラー歪みのシミュレーションには、イヤホンの普通の再生音量における([2]の測定では84dBSPL時)
振動板の振幅として100Hzで±1um、10kHzで±1nmを採用した

ジッターによる歪みのシミュレーションの条件:
参考文献[3]によると、DACの周期性ジッターのピークは通常数百psec程度であることがわかる。(極めて悪い機種でも2ns未満)
従って、DACのジッターによる歪みのシミュレーションには、
DACの典型的な周期性ジッターの最大時間振幅として±500psを採用した

[2]「Measurement of non-linear distortions in the vibration of acoustic transducers and acoustically driven membranes(2008, J.R.M. Aertsa, J.J.J. Dirckxa, R. Pintelon)」 http://wwwtw.vub.ac.be/elec/Papers%20on%20web/Papers/RikPintelon/OpticsLaserEngineering.pdf
[3]「ディジタル・オーディオ機器におけるサンプリング・ジッターの諸様相とその要因(2004、西村 明、 小泉宣夫)」 http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/MyRoom/Jitter.pdf


4.シミュレーションの結果
【図1】のスペクトルは何の歪みもない、44.1kHz/16bitのフォーマットで作成した100Hz(-6dBFS)と10kHz(-6dBFS)の2つの純音からなるwavファイルで、これを入力信号ファイルとする。
【図2】は、参考文献[2]で84dBSPLで再生した時に生じていたイヤホンの振動板の振幅(100Hzで約1um、10kHzで約1nm)から見積もれるドップラー歪みをシミュレーションで加えたもの。
【図3】は、最大時間振幅±500ps/100Hzの周期性ジッターを持つDACでの出力をシミュレーションした結果。

【図1】 元信号(100Hz+10kHz純音※それぞれ-6dBFS)
 
【図2】イヤホン再生時の変位からドップラー歪みの効果を追加(シミュレーション)
 
【図3】±500ps/100Hzの周期性ジッターを持つDACの出力(シミュレーション)
 

・・・画像でか!

【図2】と【図3】を比較してわかるように、ドップラー歪みも、周期性ジッターによる歪みも、無線のFM変調などでお馴染みの、
位相雑音としてその影響が現れることがわかる。
この類似性は、考えてみればあたりまえのことで、ドップラー効果とは音源(あるいは観測者)が移動することで音波が到達する時間が変化することによって発生するのだから、
時間変化という点で、ドップラー歪みとジッターによる歪みは殆ど同類のようなものなのである。(言い切ったぞ)


5.考察
500psの周期性ジッターによる10kHz純音の歪み(サイドバンド)は、信号比でおおよそ-96dBである(0.0016%)【図2】。※元の10kHzの-6dBFSに対して約-102dBFSのサイドバンドが出ている。
一方、1um(@100Hz)の振幅により発生する10kHz純音の歪みは、信号比でおおよそ-81dBである(0.0089%)【図3】。※元の10kHzの-6dBFSに対して約-87dBFSのサイドバンドが出ている。
いずれも極めて小さな歪みであり、このような小さな歪みを人間の耳が検知出来るかどうかは非常に疑わしいと思う。

仮に検知可能だとして、今回設定した条件ではドップラー歪みの方が少なくとも15dB(5.6倍程度)大きく、ジッターよりも
まずドップラー歪みが先に検知されるはずである

ただし、DACの比較的固定的なジッターと比べて、ドップラー歪みは再生する音源のスペクトルと、振動板の周波数ー振幅特性によって動的に変化するため一筋縄ではいかず、実際に音楽を再生した時の定量的な歪みの見積もりが難しい、という問題がある。
(定性的には低音ほど、また振動板の口径が小さいほど振動板は大きく振幅するから、低音を多く含んだ音源を再生した際には、ドップラー歪みはより多く発生することはわかる。)
加えて、昨今は2wayや3wayなど複数の振動板を積んだイヤホンも存在するため、さらに事情は複雑といえる。(当然2way、3wayと再生する周波数を多く分割するほどドップラー歪みは少なくなる)

いずれにせよ、普通にイヤホンで音楽を聴く場合にドップラー歪みを意識することがないように、これよりさらに影響の少ないと見積もれるDACのジッターについても、とりわけ劣悪な製品でもない限り、問題視する必要もないように思える。ピース。


以上


謎コラム1
ラウドスピーカではどのくらいドップラー歪みが出ているのだろうか?

マルチWayで使う口径30cmのウーファーについて考えてみる。
口径30cmの振動板が80dBSPLの音圧を軸上1mに生じさせるには0.59mmの振幅が必要となる。[4]
30Hzを80dBSPLで再生しつつ、240Hzの音を再生する場合をシミュレートした結果が下の【図4】である。(f0は30Hz、以降-12dB/octで振幅減少と仮定)、240Hzの音は-58dB程歪むことがわかる。隣の【図5】のイヤホンで1umの振幅を仮定したときの歪みと比較すると、大変に歪みが多いように見えるけれども、これでも0.1%程度の歪みであり、低域でこの程度であれば・・・おそらく問題を感じないのではないかと思う。
よって口径30cm程度とそれなりに大きいウーファーを使う場合、1kHz以上まで無理をして使うなどとしない限りドップラー歪みは問題になりそうにないように思う。

【図4】 口径30cmのウーファーで、30Hzを変位0.59mm(80dBSPL相当)で再生しつつ、240Hzの音を再生した場合。
(シミュレーション)

【図5】 イヤホンで30Hzを変位1um(80dBSPL以上に相当[2])で再生しつつ、240Hzの音を再生した場合。
(シミュレーション)


[4]オーディオの科学「スピーカーの物理学 V ダイナミックスピーカーの諸特性」 http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/MyRoom/9722dynamicspeaker.pdf



謎コラム2
鼓膜ではどのくらいドップラー歪みが出ているのだろうか?

◆人間が聞こえる最低の音圧レベル0dBSPLでは概ね鼓膜は0.1オングストローム程度振動する。[5]
◆人間の死体を使った実験では121dBSPL(@525Hz)という極めて大きな音圧レベルでは800nmの変位が見られた、との観測結果がある。[6]
これらの結果から、音楽を聴く普通の音圧レベル80dBSPL程度だと0.01um〜0.1umほど鼓膜は振幅するであろう、ということがわかる。
(2013/8/3追加: 実際に生きている人の鼓膜の変位をレーザードップラー振動計で実測した例があったので、リンクを示す[8]。
 ここのFig.1の音圧〜振幅の鼓膜のリニアリティと、Fig.5の60dBSPLでの振幅応答によれば、500Hz程度において80dBSPLの音圧では、鼓膜は0.01um程度振幅することが分かる。)


さて、仮に525Hzで0.1um(1×10^-7m)鼓膜が振動しているところに
、同時に10kHzの音が加わったら、鼓膜の振幅でどのくらい音が歪むだろうか?
シミュレーションすると下記の【図6】のように、10kHzの音には-101dB程度の位相雑音を生じることがわかる。
これはもちろん大変に小さな歪みであり、とても検知出来そうには思えない
(※ 0.1umとしたので、上記の生きている人の鼓膜の振幅実測値0.01umよりも1ケタ程度大きめでシミュレーションしたことになるが、「多めに見つもっても-101dB程度しか歪まない」・・という風に読んでいただければよいかと思います。(2013/8/3追記)

【図6】 鼓膜の振動を想定し、525Hzで0.1umで鼓膜が振動している時に生じるドップラー歪み
(シミュレーション)


ここでまた戯れにDACの周期性ジッターとの比較を考えてみると、525Hzで
0.1umの振幅というのは、周期性ジッターで言えば0.1um/音速=1×10^-7/340で294nsecのジッターと同等の歪みを及ぼす
人間は自身の鼓膜が持つ歪みよりも小さな音の歪みは検知できない・・・と仮定すると、
検知可能なジッターは数十nsec〜数百nsecくらいからである、という実験結果[7]ともそれなりに整合する理由になるようにも思う。

[5]http://positron.c.u-tokyo.ac.jp/saito_shindo_chapter5.pdf 式(5.17)〜(5.22)
[6]「A critical review of experimental observations on eardrum structure and function(1978,W. Robert J. Funnell & Charles A. Laszlo)」 http://audilab.bmed.mcgill.ca/AudiLab/ear.html
[7]Eric Benjamin and Benjamin Gannon, “Theoretical and Audible Effects of Jitter on Digital Audio Quality”, Pre-print 4826 of the 105th AES Convention, San Francisco, September (1998)

[8]Distortion product otoacoustic emissions measured as vibration on the eardrum of human subjects.(2007, Dalhoff E, Turcanu D, Zenner HP, Gummer AW.) http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17242353/?ncbi_mmode=std


(2013/8/3追加4)
謎コラム3

オーバーヘッドタイプのヘッドホンは、どのくらいの振幅で振動しているのだろうか?


先般、レーザー変位計で30mWを印加した際の、MDR-CD900ST(密閉型、ドライバ径400mm)の振動板の振幅を測定した結果を以下【図7】に示す。

30mWではf0以下の低域では概ねピークtoピークで600um程度、ゼロtoピークで300um程度で振幅している(@30mW)。
・・・と、ここまでは実測値なのでそう大きくは違いないと思う。

以下は、換算なので誤差は多いかも・・・。

30mWの時には(振幅は電流に比例するとみなして) 300um/30^0.5=54.8um振幅していることになる。
ここでMDR-CD900STのスペックシートによると、音圧感度は106dB/mWとのことなので、
84dBSPLでの変位は54.8um×10^((84-106)/20)=4.4umの振幅(0-p)と見積もれる。

これはイヤホンの1um程度と比べて、
数倍の大きさとなるのだが、果たしてこの見積もりが正しいのかは正直よくわかりません。(計算間違いしてるかも)

【図7】 オーバーヘッドタイプのヘッドホン(MDR-CD900ST)を約30mWで駆動した際の振動板各部の変位(注意:p-p値)
   簡易的に圧力場となるようにチャンバーを作成して、300umのPETシート越しにレーザー変位計で観測した。
   この際振動板の前面プロテクターは取り外し、振動板に極軽量なマーキングを施している。
 

以上



TOPへ戻る